市内、慈眼寺公園の中に残る腕を失った石造仁王像。
明治維新のさなか、薩摩藩では廃仏毀釈(仏像を壊し、釈迦の教えを棄てる)によって取り壊された寺院の数は1616に上り、還俗した僧侶の数は2966人を数えました。木彫仏像は焼かれ、石像仏は打ち壊されました。その爪痕は今日でも市内に残る、顔や腕などを欠いた仁王像(県内随所)等に見る事が出来ます。気候風土に育てられ、生きる知恵袋としての仏教が、この時に人々の心から失われたと言っても過言ではないでしょう。
最福寺の起源は、室町時代にまでさかのぼり、代々修験道・真言密教の正系を受け継いで参りました。
薩摩の武士たちが国盗り合戦の時、山伏・行者を集めて必勝祈願や呪い合戦をしたのがその起源だといわれています。
山伏は元来、山に籠もり難行苦行を積み、祈祷の術を磨いていたので寺院を持つことはありませんでしたが、薩摩修験道第十八代相承者、池口恵観大阿闍梨が最福寺を建立し、初代法主となり現在に至っています。


 最福寺本尊不動明王
京佛師:田中文哉師 作


 

弁財天のルーツはインドのサラスバティ神です。その起源はおよそ5000年前の古代インドに遡るといわれています。サラスバティという河が運ぶ肥沃な土は、地域の人々に豊潤な収穫を与えました。雨期に氾濫する河を収め征するものが地域の実力者となり人心をまとめ、河の流れは人々の生活のリズムを司りました。そしてこの河−サラスバティが神格化され、弁財天信仰を生み出しました。
 
最福寺大弁財天の建立には10年の歳月を要しました。1999年11月4日に当山で行われた入仏法会から約7ヶ月後、大仏殿の落慶を記念して最福寺大弁財天開眼・落慶大法会を2000年5月14日に挙行致しました。地球規模の環境問題や、地域紛争など人類として取り組むべき問題が鬱積しています。21世紀は、日本の、そして世界のあり方を仏教文化を通 じて見つ目る切っ掛けを創成して行かねばなりません。
 
廃仏毀釈で打ち壊された仏像は、実は日本人が文明化の中で失った「こころ」の象徴だったのかも知れません。弁財天建立を期に最福寺は「日本人のこころの復興」を目指します。

 

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